演歌と艶歌

「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ」「嘘は大きいほど良い」とは、ヒトラーの言葉です。

それを、「虚構は、それが大きいほど信じられやすい」と言い換えてみましょうか。

輪島裕介の『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』を読んで、そんなことを思いました。

「演歌=日本人の心」という言説が、いつ、どのようにして生れたのかを、歴史的な文脈から解きほぐした本です。

レコード会社の製作システムの変化やジャンルの多様化と、時代の移り変わりが演歌を“作った”ことが腑に落ちるとともに、マルクス批判までも関係していたことに驚きました。

私たちが当たり前と思っていることが、実は思っているほど当たり前ではないのだと知るとともに、それが何であれ、思考停止に陥って無批判に受け入れることの危険性を教えられました。

私がこの本を手にとったのは、五木寛之について、かなりのページを割いて言及しているからでした。

五木寛之が、小説家になる前、違う名前で作詞家をしていたことは知っていましたし、“艶歌”を扱った作品をいくつも書いていることも(読んで)知っていましたが、若者に絶大な人気を誇った作家の姿と、失礼ながら若者が好むとも思えない「演歌」というジャンルに多大な影響を与えたという事実が結びつかずにいました。

そこが繋がるとともに、私の中の“五木寛之像”が偏ったものであったことに気付かされました。

いくつになっても、知るというのは楽しいものです。

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)