作られた因縁

1996年のこと。ボクシングの世界タイトル戦、勇利アルバチャコフVS渡久地隆人(ピューマ渡久地)が行われました。

その数年前に、立場が逆、渡久地が保持する日本タイトルに勇利が挑戦する試合が組まれていながら、渡久地のトラブルで流れたということがあり、テレビ局は、このエピソードに飛びつきました。

「闘う運命にあった二人」「数年の時を経て拳を交える」

宣伝でも、試合中の実況でも、観ている私が「もうわかったから、試合の話をしてくれ」と思ったほど、それは執拗で徹底したものでした。

二人の間に因縁はありませんでした。面識はあったかもしれませんが、お互いに顔と名前は知っていて、会えば挨拶をする程度だったのではないでしょうか。日本タイトル戦が流れた際も、トラブルは渡久地の個人的なもので、勇利は関わっていません。

それでも……。そんな細い糸でも……。テレビ局は二人の“因縁”を前面に押し立てた番組作りをしました。良いも悪いもありません。闘う二人も、それを理解して振舞いました。

試合は、勇利の圧勝に終わりました。渡久地は振り回すようなオーバーハンドブローが多く、同じタイミングで繰り出しても、勇利の、基本に忠実に真っ直ぐな軌道で放たれるジャブやストレートに遅れ、派手ではあってもヒットさせることができませんでした。

現在、ボクシングのみならず格闘技全体を見渡したとき、“二人の男の因縁”で見る者の興味を喚起し、一本のテレビ番組を作り上げることができる素材がいるでしょうか。「この二人が闘い、一人が負ける」という興奮を持って。