『荒野へ』

“荒野”といって私が思い出すのは、五木寛之の『青年は荒野をめざす』です。そのイメージを持って手に取った、ジョン・クラカワーの『荒野へ』。裕福な家庭環境を捨てて放浪の旅に出て、極寒のアラスカで衰弱死した若者を扱ったノンフィクションです。

『青年は荒野をめざす』を読んだのは大学生の頃。思い出すと胸苦しさを覚える、今でも大好きな作品です。

しかし、『荒野へ』を読んで抱いた読後感は、まったく異なるものでした。

社会には矛盾や理不尽が満ち満ちています。それも含めて世の中なのだと嘯くこともできますが、それに慣れて思考停止に陥ることが“大人になること”ではありません。

人間は、自分以外の他者との関係性においてのみ人間足りえます。

人間は、自分以外の他者がいて初めて個人足りえます。

その厳しい環境こそ、修行の場です。

『荒野へ』の若者は、そこから逃げ出したのではありません。ただ、その認識が無かったのです。彼に共感を覚え、その無謀を肯定する自分もいます。しかし、私は、「そうじゃないんだ」と彼の前に立ちはだかりたかった。そういう人間が彼の周囲にいなかったことが(彼が亡くなったという結果は抜きにして)残念でなりませんでした。

機動戦士Ζガンダム』の一場面。クワトロ・バジーナを名乗り、自分がシャア・アズナブルであることを認めないシャア。カミーユ・ビダンに殴られ、心の内で呟きます。「これが若さか」と。

『荒野へ』を読んで、この場面を“シャアの立場から”思い出しました。私は、もうカミーユ・ビダンではないのです。上記の感想とともに、自分が年齢を重ねていることを再認識しました。

機動戦士Ζガンダム』の悲劇の一因は、シャアの不甲斐なさにありました。大人であること。それから逃げ出してはいけないと、胸に刻みました。

読書とは怖いものです。まさか、このような感想を持つことになろうとは思いもしませんでした。

荒野へ (集英社文庫)

荒野へ (集英社文庫)

ちなみに、映画館で予告編を観て興味を持ったのが、この作品を知ったきっかけでした。