射程距離

ある方のブログのコメント欄にお邪魔していた時、“想像の射程距離”という言葉を聞きました。

私は、私とは別の場所で、私とは別の財布を持って暮らす“彼女”に、彼女が望む幸せを与えることができません。離れた場所から、ただ慈しむだけです。

愛されているという実感、見守られているという安心感。私が彼女に差し出せるのは、それだけです。

ここで、冒頭の言葉に戻ります。

“想像の射程距離”と聞いた時、私がイメージしたのは「自分が出来る範囲での最大限」という程度でした。しかし、その方は、それを軽々と越え、更にその先を見据えていました。大略「自分の想像力の、その外側まで」と。

この豊饒さ。

家族を想う気持ちの、その射程距離をほんの少し伸ばしてみる。それは無意味なことでしょうか。祈ることは、具体性を伴わない無意味な行為なのでしょうか。

私は正解を出すことはできません。ただ、被災地で起きたこと、そこで頑張る人たちのことを考えると心穏やかでいられない自分の想いを抱いて、自分にできる精一杯のことをするだけです。

そして、私に考える機会を与えてくれる他者(ひと)に感謝するとともに、その縁を大切にしたいと思うのです。