想う

今から七十五年前。昭和十一年の今日、二月二十六日。二・二六事件が起きました。

三島由紀夫は、二・二六事件に感銘を受け、『憂国』を書き、盾の会を作りました。あの自決も、この文脈にあるのでしょう。もし存命なら、その三島に訊いてみたかったことがあります。

事件当時、青年将校の蹶起を知らされた昭和天皇は激怒し、まがりなりにも“天皇親政による昭和維新”を掲げた彼らを“叛乱軍”と断じ、自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たるとまで言われたそうです。

この昭和天皇の認識を、三島は、どう捉えていたのでしょうか。

私が知る限り、三島は、この件について何も書いていません。一つの解釈として、その沈黙が答えだと考えることも可能です。

しかし、あの三島が沈黙を選んだのなら、なおさら問いをぶつけてみたくなります。かつて、太宰治に面と向かって「私は太宰さんの文学が嫌いです」と言い放った三島なら、きっと受け止めてくれたと思います。

<付記>

私の勉強不足による間違いがありましたので、訂正します。

三島由紀夫は、二・二六事件の際の昭和天皇について、著書『英霊の声』に書いています。

私は、三島由紀夫とは異なる考えを持っています。

事件勃発時、昭和天皇は三十四歳。その清冽さに感動を覚えます。