不自由な強豪

エメリヤーエンコ・ヒョードルが引退発言を撤回しました。

PRIDEの消滅以降、ヒョードルの試合数は激減しました。試合をしない強豪。私は、ヒクソン・グレイシーを思い出します。

私たちは、アントニオ猪木の「私はいつ何時、誰とでも戦う」というセリフに魅せられています。毒されています。

現実には、強豪選手は商品です。“彼らが戦うこと”には多くの人間が携わります。それによって生み出される金銭的な利益は、戦う選手のみに還元されるものではありません。

そこでは、契約が何よりも優先されます。絶頂期の桜庭が対戦を迫った時、ヒクソンは「自分はプロだ。クリアすべき課題があり、それらが解決されれば、いつでも戦う」と応えました。

ヒョードルも、“いつ、どこで、誰と”戦うかを、本人の意思は尊重されたでしょうが、自分で決めることはできなかったであろうと想像します。

引退発言の撤回も同様です。

今後、ヒョードルは何を見据えて戦うのか。