ビジョン無き戦い

晦日Dynamite!!をテレビ観戦しましたが、点と点が繋がって線になっていないちぐはぐさを感じました。すべてが唐突で、孤立していました。「何故、その対戦カードなのか」「何故、大晦日なのか」と問われて、私はその意義を答えることができません。

唯一の例外は高谷裕之の物語でした。一年間の集大成としてのリングであり、彼が戦う必然性が感じられました。もっとも、私は、父親との関係を持ち出す演出は不要だったと思います。あの程度の軋轢や相克は、何ら特別なものではありません。高谷には戦う必然があり、彼はその階段を一段ずつ上がってきました。その姿をこそ誇るべきであって、安易な“わかりやすさ”に逃げ込むことは、高谷を侮辱することです。

長島☆自演乙☆雄一郎VS青木真也については、既に多く語られていますので、試合内容には触れません。

以前、私が青木について書いた記事です。

http://d.hatena.ne.jp/ocelot2009/20100110/1263087833

衝撃的な決着の後、解説席の魔裟斗須藤元気までもが感情を爆発させて喜ぶ姿を見て、自分が書いた記事を思い出すとともに、青木の悲しい勘違いに寂しい思いを抱きました。

青木は、あの戦い方の末に勝利したとして、何を得るつもりだったのでしょうか? その勝利を誇りあるものと認める者などいなかったであろうことは想像に難くありません。自らの商品価値を下げるだけです。現実には、KO負けしたことで、それは更に下がりました。

如何に戦い、勝ち、自らの商品価値を高めるか。それ以外に、青木が長島と戦う意味はありませんでした。その必要もないのに、たった一つの勝ち負けに一喜一憂する青木には、その実力に見合った精神、自らを律するビジョンが無いと言わざるを得ません。

主催者には、すべてが大晦日Dynamite!!に収斂するような運営を、一年を通して行っていただきたい。この一月から、もう始まっています。