連鎖を断ち切る

今日の読売新聞で、中学二年の女子生徒が、いじめを苦に飛び降り自殺したと報じられています。

負の連鎖。繰返され、絶えずフォローされる報道を目にすることで、彼ら彼女らの中で、“自殺”が確かな手触りを持った“選択肢”になっています。

その一方で、親は、報道を眺めて「大変なことだ」と憤りつつ、それはテレビ画面の向こう、どこか違う世界の出来事と思ってはいないでしょうか。

以前の記事でも書きました。三島由紀夫は、青年期の自殺について、「絶望から人はむやみと死ぬものではない。」と言いました。その作家の影響を自覚しつつ、私も経験的に“死の誘い”が甘美であることは知っています。

思春期の彼ら彼女らに知ってほしい。きみ達は、きみ達の親にとって、自分の命を差し出してでも護りたい、大切でかけがえのない存在なのです。きみ達は、他人に(親といえども他人です)、生きてほしい、幸せになってほしいと願われているのです。

世の親に知ってほしい。血を分けた子供とはいえ、他人です。あなたが、その全存在をかけて慈しむ気持ちも、言葉で態度で、相手に伝わるように表現しなければいけないのです。「親子なんだから、黙っていても伝わるはず」なんて、怠惰の言い訳に過ぎません。

愛されているという実感。見守られているという安心感。社会の最小単位は“個人”ではありません。“家族”です。

どうか、あなたの大切な人に、照れずに「大好きだ」と伝えてください。何かあってから、「まさかウチに限って……」などと嘆いても遅いのです。