『社会は情報化の夢を見る』

佐藤俊樹の『社会は情報化の夢を見る』を読みました。十五年前に書かれた旧版に加筆訂正し、さらに補遺を加えたもので、<[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望>という副題がついています。

「新しい情報技術が社会を変える! 私たちは何十年もそう語りつづけてきたが、本当に社会は変わったのだろうか? そもそも情報技術と社会とは、どんなかかわり方をしているのだろうか? 『情報化社会』という夢の正体を、それを抱き、信じたがる社会のしくみごと解明してみせる快著。大幅増補の新世紀版!」

梅田望夫の『ウェブ進化論』を読んで、部分部分では「なるほど」と頷かされながら、総じて「よくわからん」という感想を持ちました。今でも、情報を扱う「こちら側」と「あちら側」が何を意味するのかわかりません。そして、私は気に入った作家の本は熱心に追いかける性癖があるのですが、梅田氏については、この一冊で終わってしまいました。

今をときめく(これ、皮肉です)勝間和代の本は、一冊読んだだけで、特に感心することもなく終わりました。勝間氏はツイッター礼賛者として、それに関した著作もありますが、手に取ったことはありません。

この二人は、それぞれ“web2.0”と“ツイッター”について、「この新しい情報技術が社会と人間のあり方を変える」と主張しています。その論理的破綻について、佐藤氏は明快に論じています。そして、それが嫌味や皮肉、当てこすりでないことに好感が持てます。

私はインターネットや、その中のブログやツイッターは道具だと認識しています。道具は、必要性を感じた人が必要に応じて使えば良いだけのことで、そこに肯定的にしろ否定的にしろ、過剰な意味を求めるのは感傷的に過ぎるという考えです。

ですので、梅田氏と勝間氏の論や著書に惹かれなかったのも当然と言えますが、今回『社会は情報化の夢を見る』を読んで、その裏づけが取れたように思えました。

本当の意味で理解していない事柄を、漠然としたイメージを抱いただけでわかったような気分になってしまう、ということは往々にしてあります。“無知の知”という言葉があります。その謙虚さを持ち続けたいと願いながら、雑な神経は自己満足の罠に陥ります。そのやせ細ったイメージに確かな骨と血と肉を与えてくれた本でした。

また、私が拙いなりに考えていたことが、独りよがりな見当違いではなかったと思え、嬉しい読書でした。