呪縛

しばらく前に、社内公用語を英語にすると発表した企業がありました。そのニュースを見た時、まず、公用語という言葉を国単位ではなく、企業単位で使っても良いのだということに、素朴に驚きました。

以前、中国政府とグーグルの間に軋轢が生じた時、大略「国家と企業、人は最終的に、自分をどちらに属する存在と規定するのだろう」という記事を書きました。

法人税の税率についての論議が活発です。それは、現時点では、主に外資系企業を念頭に置いたものです。

グローバル経済の名のもとに、社内公用語を英語にした企業は、当然のことながら、営利企業としてそれを選択しました。なら、その先に、利益の追求の結果として、本社機能を、はっきり言えば会社そのものを、海外に移転することもあり得ます。それは当然の帰結です。

その時、その企業は日本を捨てたと非難されるのでしょうか。それとも、先進的で立派だと賞賛されるのでしょうか。

その時、その企業で働く人たちは、日本人である自分と企業人である自分、二つの顔にどう折り合いをつけるのでしょうか。

呪縛は断ち切られるのか。

呪縛はより強固になるのか。