両刃の剣

プロレスにおいて、試合を決める最後の場面、その選手ならではの“必殺技”を連発することは両刃の剣です。

いつもなら一発で相手を沈める技を二発、三発と繰り出すことによって、観客は目の前の試合が大一番であることを、そこまでしなければ決着がつかない熱闘であることを感じ、興奮します。その特別感に酔います。

しかし、副作用が懸念されます。二連発、三連発に慣れた観客は、大一番ではない普段の試合において、その技が一発しか繰り出されずに試合が決着した時、満足するでしょうか。

例えば、現在、新日本プロレスではG1クライマックスが開催されています。その中で、中邑真輔棚橋弘至が、それぞれ“ボマイェ”と“ハイフライフロー”という決め技を連続して繰り出すことで勝利を収めており、それは両人の必死さの表れと評されています。

問題はその先です。次のシリーズ、タイトルマッチが組まれたとします。(中邑、棚橋に限らず)闘う選手がG1クライマックスのように決め技を連発せず、従来通り一発で試合を決めたとします。観客は満足するでしょうか。そのタイトルマッチを、G1クライマックスのリーグ戦よりも格下と見做さないでしょうか。

人間は慣れるもの。刺激は、より刺激的であることで、刺激であり続けます。二連発で満足できなくなったら、三連発。三連発で満足できなかったら、四連発。四連発で満足できなかったら、五連発。

そうなったら、それはもう“必殺技”ではありません。そして、リアルと虚構が混じり合うプロレスの魅力を損ない、ウソくささが鼻につくだけです。

※本日午後に書いたものを読み返したところ、冗長に過ぎ、書き直しました。