私の作法

趣味の一つ。登山というと、ちょっと大袈裟。山登りの方がしっくりきます。

テントを背負って縦走するといった本格的なものではありません。前日の深夜に登山口に着いて、仮眠を取り、日が昇る前に出発します。上りに四時間くらい、山頂で早めに昼食を摂り、午後の早い時間帯に下山します。そして、温泉に入って汗を流して帰宅します。

山登りは、山頂に立つことがゴールではありません。その後、来たルートをまた戻らなくてはいけません。山頂は、あくまでも折り返し地点なのです。

一歩一歩、足を前に踏み出すこと。そうして身体を上に引っ張り上げること。それ以外に、山頂にたどり着く方法はありません。そこで、私はその行程を、以下のように区切ることを覚えました。

まず、山頂に立つ行程の半分、二.五合目というのはありませんから、二合目を目指します。山登りは、最初の三十分から一時間は息苦しく、身体は動かず、ただただ苦痛しかありません。ですので、二合目を目指すというのは、目標設定として低いとは言えません。

二合目で休憩を取った後は、すぐ目の前の三合目を目指します。二合目から三合目で距離が短いということはありません。何故なら、三合目にたどり着いたということは、まず目標とした、山頂に至る行程の半分の、そのまた半分以上をこなしたことになり、ささやかながらも達成感が得られるからです。

そこまで来れば、五合目、半分はすぐ目の前です。その頃には、身体も慣れ、脚運びも楽になります。五合目は区切り。チョコレート等を食べて栄養補給をし、すこし長めの休憩を取ったりします。そして、手応えも充分、山頂を目指します。

そうして山頂にたどり着き、まずは最初の目標を達成した充実感を噛み締めます。しかし、同時に、心の片隅で、「まだ全体の半分に過ぎない」とも考えます。

下りも同様。目標を小刻みに定め、それらを一つずつクリアして、登山口に戻ります。

この経験は、様々なことにフィードバックが可能です。

例えば、読書。私は本を読む時、ちょうど半分にあたる部分のページ数を確認します。まずそこを目指します。“まず”と書きましたが、実際には、さらに、その半分、全体の四分の一にあたるページ数も把握して、そこに向かって読み進めます。そして、半分にたどり着くと、「ちょうど山頂だ」という手応えを持って後半に進みます。読書は、その作者の文体、世界観、物語世界に馴染むために時間を要し、同じページ数でも、前半と後半では読み進めるスピードが違います。後半に行くほど速くなります。そうして、一冊の本を読み終えます。

例えば、ボクシング。ジムに通い始めた当初、技術を習うのではなく、それらを習得するために必要な、持久力を含めた体力を作ることに専心しました。山登りの、最初の息苦しく苦しいだけの部分に該当します。

例えば、ギター。習い始めた当初は、まずコード表を見て、弦をその通りにしっかりと押さえられることを目標にしました。主要なコードを覚え、循環コード(音色が綺麗に繋がる、規則性を持った複数のコードの組み合わせ)をひたすら練習しました。先生が、「そこまで弾ければ、一曲弾けますよ」と言ってくれるまで、ひたすらそれを繰り返しました。そうしてようやく、曲を弾く段階に進みました。

要するに、長期的な目標がある中で、中期的な、あるいは短期的な目標を自ら設定し、目の前の課題に取り組むことです。今現在やっていることは、最終的な完成図の、この部分を担っているんだという手応えは大切です。

趣味があるって素晴らしい。