主導権

通っているボクシングジムで、毎回というわけではありませんが、マスボクシングや軽めのスパーリングをすることがあります。当然ながら、相手がプロ選手の場合、実力差は歴然としています。

実生活では、ほとんどの場面において、“自分がいて、相手がいる”となりますが、リング上では、そうは問屋が卸しません。「ジャブを繰り出せ、ワン・ツーを打て。フックはどうだ、アッパーは出せるか。足が動いていないぞ、フットワークだ。」プレッシャーの中で、身体は不自由なまでに動きません。一見、私が先に手を出して先手を取っているようでも、実は違います。状況を支配しているのは自分ではなく、“相手がいて、自分がいる”という状態になります。

例えば、将棋。お互いに同じ駒の配置から始まります。それが、いつしか優勢と劣勢に色分けされます。

何が違うのでしょうか。どこに分岐点があるのでしょうか。

UFCにて、ブロック・レスナーが劣勢を跳ね返し、逆転勝利を収めました。しかし、試合後のインタビューを聞くと、彼は絶えず試合を(自分と相手の状態を)俯瞰、把握して、自身の勝利を疑っていなかったことが伝わってきます。

先日の記事で触れた、私が通っているジムに所属していたプロ選手は、ある試合で、相手のパンチが軽いことを試合の序盤で見極め、1、2ラウンドを優勢に進め、3ラウンドでは敢えて相手に攻めさせて、攻め疲れさせ、4ラウンドで狙い通りノックアウトした、ということを話してくれたことがありました。

主導権を握ること。その点で、レスナーのプロレスラーとしてのキャリアはとても貴重なものだと感じます。