まだ終わらんよ

私の父方の祖父は、東京大空襲で戦災に遭い、亡くなりました。それが、幼かった私の父親の人格形成に大きく影響したであろうことは想像に難くありません。そして、その父の息子である私もまた、父と息子という厄介な関係性において、その軛(くびき)から逃れることはできません。

今日、その祖父に繋がる親戚の法事がありました。高速を飛ばし、都内を抜け、川崎まで赴きました。

そこで、年配の方々から、祖父が亡くなった、あの東京大空襲の話を伺いました。焼夷弾によって自分たちの家が目の前で焼け崩れる様子を眺めた話、家族の手を引いて逃げた話をしてくれた際の表情は、ここで言葉で表したら嘘になりそうな、穏やかなものでした。

私の母方の祖父は、従軍して、中国で終戦を迎えました。その祖父は、私が大学一年の時に亡くなりました。当時の私がまだ関心を持たず尋ねなかったということもありましたが、祖父は自らの戦争体験について、生前、ただのひと言も口にしませんでした。その沈黙もまた、一つの意志表示でした。

私は、あの戦争の記憶と地続きの人間です。今日、それを再確認しました。