コナリー推進キャンペーン6

Wikipediaから、マイクル・コナリーの略歴を転載します。

「1980年、フロリダ大学でジャーナリズムを専攻として卒業するが、その専攻のきっかけは、在学中にレイモンド・チャンドラーの小説に出会い、作家となる決意をしたためという。卒業後は、フロリダで新聞記者となり、複数の新聞において、主として警察及び犯罪事件を担当する。当時、南フロリダ地区は、いわゆる『コカイン戦争』の真っ只中であり、コナリーはその犯罪と警察について記事を書き続けた。
1986年、コナリーは他の記者2名とともに、ある大規模航空機事故よりの生還者達に数ヶ月に亘るインタビューを敢行。後に、このレポートは雑誌へと発表され、また、ピューリツァー賞候補にも推された。
ロサンゼルスで3年間の犯罪記者経験の後、ロサンゼルス市警(LAPD)の刑事ヒエロニムス(ハリー)・ボッシュを主人公とした小説を書き始める。1992年、シリーズ第1作となる“The Black Echo”(邦題『ナイトホークス』)を発表。実際にロサンゼルスで起きた事件を一部に題材として描いた本作は、初版僅か15,000部、しかも全米で一切新聞広告の露出がなかったにもかかわらず、各書評で非常に高い評価を得て、更には同年度、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)のエドガー賞処女長編賞を獲得した。
コナリーの小説は、現在までに35ヶ国で翻訳されている。2003-2004年には、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)の会長を務めた。」

読者を翻弄する、二転三転するプロットと、読む快感ともいえるどんでん返し。それらは明確に“作家のテクニック”です。しかし、そのテクニックのみの、単に読者を驚かせる奇抜な展開だけの作品なら、読者はついてきません。ハリー・ボッシュの孤独な陰影とともに、コナリーのジャーナリストとしての経歴、志向も取り上げないわけにはいきません。

船戸与一高村薫に共通するコナリーの創作姿勢。それは、現実に起きた事件を題材として借用するという小手先の発想ではありません。ずばり、ジャーナリストの視線です。何か起きた時、そこに扇情的なドラマを見るのではなく、そうなってしまった悲しい人間の業を見る。それが根本にあって、初めてテクニックが活かされるのです。自動車に例えるなら、創作意欲がエンジン、ジャーナリストとしての厳しい視線がステアリング、それらを表現するテクニックが車輪とでも言えるでしょうか。