『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』

打海文三の『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』は、私にとって二重に思い出深い作品です。

“大根を売るように、小説を売る”

このコンセプトのもとに、この作品は著者のブログにて連載されました。つまり、誰もがネット上で無料で読めたわけです。打海文三にはまって検索をする中でたどり着いた著者のブログで、このような実験的な作品を、雑誌や単行本という(第三者が介在する)媒体を通さずに直に読むというのは刺激的な体験でした。

そこで「狭間の広場」の管理人の火狩さんを知りました。その鋭い書評に打海文三が驚嘆する様子を見て、そのブログ「狭間の広場」を訪ねました。shingol氏の唱える“能動性”の一つの形がそこにはありました。自分が高校生の当時、ブログというツールがあったとして、これだけのことが私に書けるか? その頃の私は一冊読み終えると満足感を抱いて本棚に並べ、次の本を手に取ることの繰り返し。「そこに何を読むか」という姿勢はありませんでした。

『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』を読んでしまい、これで未読の打海作品は絶版で文庫化もされていない『灰姫 鏡の国のスパイ』だけになりました。(短編が一編だけ、あるアンソロジーに収録されていて、まだ読んでいませんが)

エロティックな愛憎と即物的なまでの暴力の物語は、“東京SARS”という伝染病による、『裸者と裸者』に通じる破壊と混乱を描きます。ところが、そこは打海文三。読者を思いもよらない世界に誘い、物語は幕を閉じます。

三島由紀夫の『天人五衰』が白い光に満ちた静寂の中に読者を置き去りにしたのとは対照的に、『ドリーミング・オブ・ホーム&マザー』は混沌と混乱の中に読者を放り出します。ベクトルの方向が同じでも、作家によって表現がこれほど違うというのは、二人の作家が、それぞれ自分一人の流儀を持っているという本来の意味での“一流”である証です。ともに故人というのが残念でなりません。

ドリーミング・オブ・ホーム&マザー (光文社文庫)

ドリーミング・オブ・ホーム&マザー (光文社文庫)