厳しい現実
立ち止まることは、現状維持すら意味しません。それは明らかに後退です。昨日、身に染みて実感しました。
ジャーナリストの立花隆の著書に、大略次のような文章があります。(記憶を頼りに書いていますので、正確ではありませんが)
(人間を含めた)生き物にとって、完全に快適で満足できる状態は最適の環境ではない。生物には進化という要素があり、ほんの少し不自由であったり、困難があったりした方が良い。その余地の分だけ、より成長できるから。
全力で走る中でふと立ち止まって周囲を眺めることには意味がありますが、それも“全力で走る”こととセットだからこそ意味が生まれるのです。
走っているつもりでいましたが、知らずしらずのうちに甘えが出てしまっていたかもしれません。
周囲に不満を持つのではなく、上記の“余地”を自分で見つけることができる、あるいは作り出すことができる厳しさを持ち得ますように。
自身に対する再確認の意味を込めて。