同調圧力

“和を以って尊しとなす”の文言以来、日本の社会では、あらゆるレベルで同調圧力がかかります。オリンピック代表の国母選手に対する批判を見て、その同調圧力がここまで露骨に表に出てくるようになったかと肌寒さを覚えます。

国母選手のだらしない服装や、その後の記者会見での子供じみた態度は不愉快ではありますが、ここまで執拗に叩くほどのものではありません。ペナルティ云々も、オリンピックが終わってから具体的に話し合えばいいものです。マスコミ及びその報道に喜ぶ人たちは、一体何に反応しているのでしょうか?

オリンピックは特別に崇高なものとして信奉されるもの。オリンピック代表に選ばれた選手は“私達の”国の代表であり、すべからく謙虚に、国のため、応援してくれる人のために戦うもの。

この共通認識を逸脱したことに国母選手の悲劇があります。彼の服装や態度はその現れに過ぎません。国母選手の「自分にとって、オリンピックも数ある大会の一つに過ぎない」という旨の発言にすべてが集約されています。

人は、自分以外の多くの人たちによって生かされている。その謙虚さと感謝を持つほどには成長していない21歳の若造が、応援してくれる日本の皆さんのためではなく、自分自身のために戦う。それで良いじゃないですか。彼はこれから多くの経験をしていくのですから。オリンピックの後に具体的なペナルティを受けて、自分が一人で生きているのではないことに、多くの人たちとの関係性の中で自分が影響力を持っていることに気付くかもしれません。

簡単に言えば、あの程度の礼儀知らずはどこにでもいます。若者だけでなく、いい年をした大人にも。騒ぐほどのことではありません。

上村愛子の涙と気丈な笑顔を見て、彼女の母親に「娘さんを立派に育てましたね」と声をかけたくなりました。「愛子の母親で良かった」と母親に言わせた上村は、最高の親孝行をしたと思います。

国母選手のご両親も、息子がオリンピックの代表に選ばれて、その息子を誇りに思ったであろうことは想像に難くありません。一連の報道とも呼べない報道を見て、どれほど心を痛めていることでしょう。オリンピック後に帰国して、これまで向かい合わずに済ませられた社会の現実と否応なく直面した時、国母選手は何を思うのでしょうか。