往復書簡 逢坂剛と船戸与一

先日紹介した「第一回山本周五郎賞選考会」は小説新潮の1988年8月号に載っていたものです。

同じ号のグラビアページには船戸与一の自宅でくつろぐ様子や、机に向かって執筆している姿が写されています。(撮影は篠山紀信

そして、巻末には逢坂剛の、船戸与一への手紙が掲載されています。タイトルが「往復書簡」ですから、この号の前後のものに船戸与一の、逢坂剛への手紙が掲載されていたのだろうと思われます。

<襟糸と黄身>一部抜粋

愚生をエリートと呼んでくれるか、とっつぁん? その言葉を会社の連中に聞かせてやりたかった。愚生の働く業界では、エリートという言葉を発するときはネクタイを締め直し、さりげなく咳払いなどして、唇を上品に横に広げ、間違っても襟糸と混同することのないよう、厳粛に発声するべく行政指導が行われている。それがとっつぁんの口から発せられると、実にあっけらかんとして、いわば魚屋の店頭で鰯三匹くださいという感じで、エリートという言葉の持つ伝統と品格を完膚なきまでに粉砕してしまう。これもまたハードボイルドの精神と呼ぶべきだろう。

愚生のみるところ、ハードボイルドとは文字どおり固ゆで卵だ。いくら外から卵を揺すっても、黄身の形を変えることはできない。黄身は卵そのものが叩きつぶされるまで、決して破壊されることがない。とっつぁんも愚生も、そういう黄身の物語を書き継いでいこうではないか。

うんとまじめに。


ぶれない。現代史と無縁でいられないハードボイルドを書く以上、通俗的な事象にもアプローチをしなければならないとしても、自分の世界観を持って、ぶれない。そんな作家だからこそ、二人とも生き残っているのでしょう。互いに愛読者でありながらライバル。ライバルでありながら同志。友人とは、かくありたいもの。