私の好きな作家:五條瑛

「私が書きたいのは文学作品ではなく、ペーパーバック」という矜持を胸に、『スリー・アゲーツ』で大藪春彦賞を受賞した以外、文学賞とは無縁の作家、五條瑛。当時の防衛庁(現在は防衛省)の情報分析官、それも北東アジア地域を専門にしていたというキャリアを活かした『プラチナ・ビーズ』でデビューして以来、コンスタントに作品を発表し続けています。

在日米軍のアナリスト(情報分析官)を主人公にした『プラチナ・ビーズ』と『スリー・アゲーツ』は“鉱物”シリーズと呼ばれるエスピオナージュ。『夢の中の魚』や『君の夢はもう見ない』といったスピンオフ作品を配して大きな物語世界を構築しています。

もう一方の雄は『断鎖』に始まる“革命”シリーズ。全十巻の、現在は第八巻まで上梓されています。こちらは“多国籍”と呼ばれる、日本国籍を持たない大量の難民が、世代を重ねて無視できないほどの存在になった世界を描いています。

逢坂剛が「小説には、読者にページを繰らせる仕掛けが必要」と述べていますが、五條瑛の作品にはその要素がたっぷり詰まっています。

その要は視点の厳密さです。Aという人物が視点を受け持つパートではBという人物は脇役ですが、Bが視点を受け持つパートでは逆にAが脇役になります。AのパートではAがあれこれ動いて考える役目を与えられており、BパートではBがその役目を負います。その結果、両方のパートを読んでいる読者は承知している作中の(出来事や事実、人物の感情といった)情報を登場人物たちは断片的にしか知らないという“情報の断層”が生じます。それらが少しずつ、ある時は絡み合い、ある時は解きほぐされていく様は快感ですらあります。

また、専門知識や経験を活かした説得力のある描写、解釈は読者を驚きとともに唸らせます。

エンターテインメントの殻をまとっていますが、アジアの情勢や難民問題といった、その作品群が問いかけてくるテーマは今日的でハードです。

五條瑛の作品を読むと、私たちが当たり前と思っている風景の裏側に、実はまったく異なる相を持った世界があるのだと思わされます。私の持っている価値観が、実は自分で思っているほど強固なものではなく、ずっと脆弱だと思わされます。

もっと読まれてほしい作家です。

ただ、五條瑛自身がインタビューでストーリーとともにキャラクターの重要性に触れていますが、男同士で“友達以上恋人未満”といった、あるいはやたら美形であることが強調されるキャラクターが出るのは苦手です。