『格差ゲームの時代』佐藤俊樹

何を買うつもりもなく本屋に立ち寄った時、まるで私を待っていてくれたかのように目に飛び込んでくる本があります。厳密に考えれば、そのような傾向の本を私が欲していたのでしょうが、それでも嬉しい出会いです。

『格差ゲームの時代』(旧題:00年代の格差ゲーム)

1 大衆憎悪社会
楽をしてきたのは誰だ?/成果主義はなぜ挫折する/真空と熱狂 小泉人気の謎を解く/そして“弱者”がいなくなった


2 階層の閉域 言葉の閉域
透明な他者の後で/不平等を行き抜くためのブックガイド/八十年代の東京大学/悪平等


3 00年代の格差ゲーム
そして平等ゲームが終わる/才と財/増殖する不平等感と格差ゲーム


4 暴力の現在形
スタジアムの「君が代」/消された憎しみ、消えた言葉 日本が消した「米国への憎しみ」/広島とHIROSHIMA 子どもの目に映った戦争と平和/解体する日本的コミュニケーション 「わかりあい」の生成から崩壊まで/「われわれ」が「他者」になるとき 世界都市、サイバー、テロリズム


5 横断されるメディア
騙しの無限連鎖を超えて 大岡玲との対談/マスメディアするインターネット/リアル・ヴァーチャル/マルチメディアの二十世紀/新聞の終焉 ポスト総中流時代のメディア社会


6 不平等から格差へ
「勝ち負け」の欲望に取り憑かれた日本 「不平等ブーム」の中で/若年層と「目に見える」格差 社会学の視点から/定点観測 2007年1月〜12月


解題とあとがき/不平等社会この十年-文庫版あとがき


内容についてあれこれ語るスペースが無いので、目次を載せておきます。


「結果の平等」は弱者を作り「機会の平等」は敗者を作る、という論には大きく頷かされました。そして、敗者は遠い成功者ではなく、身近な人と自分を比較して敗北感を覚えるという指摘には、背筋が凍るような恐怖を感じました。

“自己責任”という言葉が一時期もてはやされましたが、どこまでが親の社会的地位や収入の恩恵によるもので、どこからが本人の努力の結果なのか。それは一人ひとり違うものであり、正確に測って比較することなど不可能です。

私も自分なりに何かしら考えていたつもりでしたが、それがステレオタイプで表層を撫でただけのものであったことを思い知らされました。その独りよがりを指摘してくれた読書でした。

格差ゲームの時代 (中公文庫)

格差ゲームの時代 (中公文庫)