中堅考(続:ヒール考)

かつて(と書くのは、私が現在、プロレスを熱心に観ていないからです)プロレスには渋い実力者が中堅レスラーとして活躍していました。

作家の氷室冴子はかつて自著の中で登場人物にこう言わせました。

「だれだって自分が一番だと思いたいけれど、現実はそうじゃないんだから、ちゃんと認めなきゃ。うっとうしいったらありゃしない」(私の好きな作家:氷室冴子

新日本プロレスでは藤原喜明木戸修アニマル浜口の姿が思い浮かびます。もしも彼らが「本当はオレ達の方が実力が上なんだ」と言ってリング上で好き勝手に振舞っていたら、新日本はプロレス団体として機能しなかったでしょう。一つには「ファンはわかってくれている」というささやかな満足感を支えに、一つには「自分は、観客が目当てにして会場に訪れるような、華のあるメインイベンターになれるキャラクターではない」という諦念を胸の内に抱えてリングに上がっていたと想像します。

※その藤原や木戸がメインを任されるようになったのがUWFでした。そして、「自分は本物を見極める目を持っている」との自負を持つファンから熱狂的に受け入れられました。

ヒーローの器ではないのにヒーローとして扱われたがる青木の姿は、実社会で生きる観客にとって、鏡に映る自分でした。それを見て不愉快にならない人はいないでしょう。青木が、氷室冴子が書いたように現実を認識し、藤原や木戸の立ち居地で活躍することにやりがいを見出していたら、結果として本人が望んだようにヒーローになっていただろうと思えてなりません。観客にとって青木を応援することは、即ち自分を応援することだから。ファンは“本物”を粗末に扱うことはありません。何故なら、それはファン自身の損失になってしまうから。

「勝てば良い」「強ければ評価される」という短絡。最短距離でゴール(ヒーローになること)を目指してしまったために、回り道をすることで得られたであろう様々な経験を、ファンと共有できたであろう濃密な時間を、青木は手にする機会を逃しました。

仕事であれ家庭であれ、「自分はこの程度」と諦めることも処世術の一つですが、与えられたポジションで自分からやりがいを見出して頑張っていれば、その姿を見ていてくれる人がきっといます。やりなおすのに遅すぎるということはありません。好きではない選手ですが、青木には巻き返しを期待しています。