私の好きな作家:山田風太郎

多感な学生時代に終戦を迎えた山田風太郎の作品には、虚無に通じる諦念が漂っています。それが飄々とした人生観と結びつき、独特な世界観を作りあげています。

赤塚不二夫の漫画には奇形的と言って良いほど風変わりなキャラクターが数多く登場します。これは戦争(特に満州からの引き揚げ体験)の影響が色濃く反映されているということを何かで読んだ記憶があります。山田風太郎の有名な“忍法帖”シリーズにも、身体の一部を極端にデフォルメした荒唐無稽な忍法を使う忍者が数多く登場します。戦争では、末端の兵士は戦力や数、作戦を遂行するための道具として扱われます。人間を物として見る不条理を感じます。

赤塚不二夫はそれらのキャラクターを使って笑いを生み出しました。これは凄まじく感動的なことです。そして、山田風太郎は自身が生み出した忍者を芸術家と呼びました。為政者の道具として敵と殺し合いながら、ただただ自分が相手より優れていることを証明したいだけなのだ、と。シリーズ第一作の『甲賀忍法帖』は、伊賀と甲賀の忍者を戦わせて、どちらが勝つかで徳川の三代将軍を決めようという物語でした。

医学生だった経歴と知識が荒唐無稽な忍法に一片のリアリティを持たせます。そして、本格ミステリーも顔色無からしめるほどの、読者を唸らせる、意外にして説得力のある論理的な展開。エンターテインメントとしても素晴らしく、私は小説の職人と呼んでいます。

山田風太郎にはずれ無し。所謂ミステリーや、明治時代を扱ったシリーズ、その他多くの時代小説を遺していますが、どれも傑作揃いです。山田風太郎の作品を読んだことのない人は、まだ小説を読む楽しみを知らないと断言します。

山田風太郎終戦の一年を日記で綴った『戦中派不戦日記』、開戦と終戦を時系列的に描いた『同日同刻』、歴史上の著名な人物の死ぬ時の様子を集めた『人間臨終図鑑』といった作品も遺しています。司馬遼太郎が陽なら、山田風太郎は陰。その隠し持った牙は司馬作品よりも鋭いと思います。