言い様の無い不愉快さ

今日、仙台地方裁判所で強姦致傷事件の裁判員裁判があり、男性の裁判員が被告に対して「むかつくんですよね」と声を荒げたことが報道されました。裁判員制度においては“事件”と呼んでも良いであろうこの出来事は、その記録において汚点として残ることでしょう。そして、残念ながら、そこには“最初の”という言葉がつくことになるでしょう。

刑事裁判をイベントと勘違いし、与えられた役割を権力と勘違いし、自分が偉くなったと勘違いし、自分が主役になったと勘違いしたこの裁判員は、決して例外ではありません。程度の差こそあれ、それは社会においてありふれた光景です。

被害者と、その家族の心中は察するに余りあります。自分の人生を、また、自身の命よりも大切な家族の人生を無残に傷つけられながら、勇気を振り絞って裁判に訴えたその葛藤の大きさと、この裁判員の言動によってつけられた傷の深さは比例するでしょう。断腸の思いで法の正義を求めながら、それを裁くのが“気分”を振りかざす人間では、これはもう一つのセカンドレイプと言っても過言ではないとさえ、私は思います。

偶然ながら、今日の新聞各紙で、裁判員の大多数が「良い経験をした」「やって良かった」との感想を持っているという報道がありました。これも裁判員制度を推進するためのキャンペーンの一環なのでしょう。

私は問いたい。刑事事件を裁くことと、裁判員の個人的経験や満足感はまったく関係が無いのではないでしょうか。人一人を裁くことを“気分”のレベルで測られては堪りません。

他人を傷つけた人間が、法に照らして裁かれ、罪を償わなければならないのは自明の理です。人間社会を作る根幹の部分です。それがショーとして扱われ、“気分”で語られる様を見るのは残念でなりません。