これでは道化だよ

羽田空港ハブ化が取り沙汰された当初、森田健作知事は芝居気たっぷりに怒りを露にし、その翌日には一転して「地方を苛めないでください」と弱者の立場を強調してみせました。

千葉県民は今後政治的な問題が起きた時、森田知事の発言を素直に信じることが出来なくなったのではないでしょうか? どのような発言をしたとしても、翌日には180度違った態度を取っている可能性が高いのですから。

「羽田がハブなら成田はマングース」云々の発言で失笑をかっていますが、私はそれよりも、当初の「千葉県は怒りますよ」という発言に嫌悪と違和感を持ちました。

千葉県とは行政に於けるある特定された地域を指す名詞であり、当然ながらそこに人格はありません。それが怒るとは如何なる現象を指すのか、私には皆目見当が付きません。

これは、子供が玩具を欲しがった時に言う「みんな持っている」という台詞と五十歩百歩です。その時、親はこう訊き返すでしょう。「みんなって、誰と誰?」と。

高村薫が『新リア王』で描いているように、言葉を尽くせるだけ尽くすのが政治家のあり方でしょう。森田知事のパフォーマンスに堕した物言いは、その言葉の受け手を「その程度のもの」と愚弄していることに他なりません。

大勢の国会議員の一人として、議案の採決の際の一票としての立場に留まっていたのなら支障は無かったのでしょうが、知事は一人です。

私は森田知事を、俳優として食べていくことができないので、知名度とかつて演じた役柄のイメージを活用して政治家をしているのだと見ています。

タイトルの台詞は、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』での、宇宙移民者への演説をした後のシャア・アズナブルのものです。シャアは政治家を“演じている”ことを自覚していてこの台詞を口にしています。

政治家を身過ぎ世過ぎの手段にされては、困るのはそこに住む人々です。もし次の選挙でも立候補するなら、その時には、このようなビジョンを持ち、このような政策を実行した、という実績を武器に戦えるようになっていて欲しいものです。