『悲劇週間』矢作俊彦

チャンドラリアンの代表として、原籙とともに矢作俊彦がいます。

詩人でありフランス文学の名翻訳者である堀口大學の青春回想記の形を取った一大ロマン。二十歳の大學は外交官である父の任地メキシコに呼ばれた。彼の地で起こった革命のただ中を颯爽と生き、大統領の姪である美少女フエセラに一瞬で心を奪われるが、この恋の行方は……。一千枚が疾走し続ける豪快極まる傑作歴史絵巻。

言葉の選択から文章の構成、句読点の打ち方に至るまで作者の神経が行き届いた美しい日本語。まず、その文章を読むこと自体に喜びに似た心地好さがありました。言葉を紡いで小説を書くことの素晴らしさ。アフォリズムや警句がちりばめられているのはチャンドラリアンの面目躍如です。それがわざとらしくもなければ嫌らしくもなく、作品それ自体と見事に融合しています。

大學の父親は外交官として有能であるとともに、ある殺伐とした過去を持っています。大學は“大人”である父親を知りたいという欲求を絶えず持ち、世界をその父親を通して解釈しようとします。それは父親と息子にとって喜ばしいことであるのかもしれませんが、ただ一つ、“詩とは何か、詩人とは如何なる存在か”という点において理解しあえません。物語の終盤の大學の独白は悲しくもあり、ある意味凄惨です。

そして、フエセラ。
“戦争はいかが”
“地球をゆっくり回して頂戴。もうちょっとでいいから”
こんな台詞を生み出した矢作俊彦のセンスに驚きますが、それとともに、これを言わせて違和感無く魅力的な女性を描き出したことに脱帽です。彼女がいてこそ『悲劇週間』という作品が成立します。

矢作俊彦は『ららら科學の子』で三島由紀夫賞を受賞した際、三島由紀夫の名前が付いた賞を受けたことに何か思うところはあるかと訊かれ、「三島由紀夫が直接選んでくれたわけではないので、特に無い」と答えました。この反骨心に痺れました。高い評価を受けながらベストセラー作家でないのも彼らしく、その読者であることに喜びを感じます。とはいえ、やはりもっともっと注目されて欲しい作家です。