亀田大毅敗戦

今夜のボクシング世界タイトルマッチ。私がリングに目撃したのは、挑戦者亀田大毅の背中に見たのは、無残な哀しみでした。

亀田家の物語という虚構の中で、三兄弟の次男という役回りを与えられ、計算ずくで接してくる大人たちに“消費材”として扱われる少年。今夜のリングで、彼は自分がプロボクサーとして何ができるのか、どのようなパフォーマンスを観客に示し得るのか、自身の中に何一つ武器を持たずに戦っていました。

亀田流と言われる強気なパフォーマンスと、プロボクサー亀田大毅の乖離。リングにおいて、亀田大毅のあるべき姿とはどのようなものなのか? それを本人がわかっていなければ、実力のみが通用する勝負の場で、結果は既に見えていたと言わざるを得ません。

周囲の大人たちにあらゆる選択肢を取り払われ、浪速の弁慶というギミックに身を任せるしかなかった少年が、自分の力で自分というものを手に入れるのは、ボクサーを続けるしかなく、尚且つ父親の元を離れることもできないという限定された環境の中で、至難の業でしょう。

彼が父親も亀田家も無く、自分のために戦い、プロボクサー亀田大毅としての手応えと感動を手に入れてくれる日が来ることを願って止みません。それは何も、世界チャンピオンになることでしかかなえられないことではありません。