私の好きな作家:森瑤子

あらゆる法則には例外がある、という法則。

恋愛小説を、そうと意識して手に取ることのない私ですが、その唯一の例外が森瑤子です。本人が「恋愛中ではなく、別れる時にこそ、ヒトの本当の姿とドラマがある」と言うように、その作品のほとんどが別れ話を題材にしています。血を吐くような、自分で自分を切り刻むような、行間からひりひりした痛みが伝わってくるような小説を書く作家です。

巷に溢れる曲はラブソングばかりという恋愛至上主義をポジとするなら、森瑤子の描く恋愛小説はネガと言えるかもしれません。しかしながら、私は甘ったるいラブソングを聴いた時よりも、森瑤子の小説を読んだ時の方が、「好きな人がいるのは素敵なことだ」と思えます。

女性であれば、女性の、女ざかりを過ぎようとしていることに対する焦りや葛藤を描いた作品に共感するかもしれません。処女作にその作家のすべてがある、作家は処女作に帰る、という言葉がありますが、森瑤子はデビュー作の『情事』がまさしくそれに当て嵌まります。

『情事』と『叫ぶ私』と『夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場』を読んでいなければ、森瑤子については何も語れない。とは本人が書いていることですが、確かにこの三冊は、強い意志を持って臨まなければ弾き返されてしまう作品です。恋愛小説家という括り以上の“作家”だと思います。

森瑤子については一つ残念なことがあります。私は学生の時、日本橋の百貨店でアルバイトをしていた時期があり、その同じ時期に、“森瑤子が選んだ”というコンセプトで、彼女が海外で買い付けた様々な品物を販売する店がテナントで入っていました。もし私が森瑤子の作品をもう少し早く読み始めていたら、或いは私のアンテナの性能がもうちょっと高かったら、本人に会えたかもしれません。

既に亡くなっていますが、存命だったら今のこの国の男女をどのように描いたか。三島由紀夫とともに、そのようなことに思いを馳せてしまう作家です。