『文明の衝突』雑感

サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が出版されたのは1998年、後に言われる“失われた十年”の真っ只中でした。

有名な本ですので、ここでは特に内容には触れません。読んだきっかけは大多数の人と同じでしょう、価値観が錯綜して混沌とした世界を理解したいという欲求からでした。その内容を盲目的に肯定することはありませんでしたが、なるほどと思うところも多々あり、読んで良かったと思ったことを記憶しています。

ところが、世の中の反応はまったく逆でした。まるで文明の衝突論を批判することがステイタスであるかのような、自身の知的教養の高さを証明するかのような空気でした。曰く、文明は衝突などしない。曰く、文明はずっと以前から衝突を繰り返していて今に始まったことではない。曰く、世界中の文明はこの本の言うように区分けなどできない。その他、重箱の隅をつつくようなことも。

私もハンチントンの論が絶対に正しく世界の在り様を説明しているなどとは考えていません。それでもあの暴風雨の如き批判は異様でした。

しかしながら、では独自の論を以ってハンチントンを論破すべく、インタビューなり対談なりをした著名人がいたかというと、寡聞にして知りません。安全な場所で騒ぐだけ。日本のマスコミ、及び“自称”評論家の程度の低さが窺い知れます。

誰もが何をどうしたら良いのかわからずにいたあの時代、誰もが正解という答えを欲しがっていました。そこに登場した『文明の衝突』はわかりやす過ぎたのかもしれません。複雑怪奇な、数え切れない様々な要素が絡まりあった世の事象を大きな手で鷲掴みにしたために、そこから漏れたものも多かったのかもしれません。それでもハンチントンは自分の考えを、自分の言葉で発表しました。それは世界のすべてに正解をもたらすものではなかったかもしれませんが、それでもある一面に光を当てるものでした。そこから如何に個人が個々の思考を深化させるか、それが読者の役割でした。それを放棄して、批判することで悦に入っていた人たちは敗北者です。