悲劇再び

現在、『全電源喪失の記憶 証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間』を読んでいます。

ページを繰りながら、わたしが思い浮かべたのは先の戦争の特攻隊の悲劇です。

国と、そこで暮らす家族のために命を散らせた若者の行為を賛美する人もいますが、わたしは尊いと思いこそすれ、美しいとは思いません。

誰もが自己犠牲の精神から飛び立ったわけではなく、嫌だと言えない状況下に置かれたが故に手を挙げざるを得なかった人も多かったと読んだことがあります。

この個人の覚悟と、その愚策を強いた政治や軍部の無為無策、無能は別のことで、後者は厳しく断じられるべきです。

それと同じことが、戦後66年を経て再び繰り返されたのです。

かつて、アメリカのアイゼンハワー大統領は、退任に際して「軍産複合体」の危険性に言及しました。

国の形とは何でしょうか。2018年現在、洋の東西を問わず、それは政治と企業による「政産複合体」の如き様相を呈しています。

本書を読んで流れる涙は、葛藤を抱えながら奮闘する現場の人々の尊い姿へのものであると同時に、それを強いるモノへの怒りの涙でもあります。