感動しない

『全電源喪失の記憶 証言・福島第1原発 日本の命運を賭けた5日間』を読むにあたって、自らに課したことがあります。

感動しないこと。

感動するという行為は外部からの働きかけに心が反応することです。それは、条件が要るということです。

これは、謎解きを主眼としたミステリーに似ています。作中で語られる事象が不思議であればあるほど、起きる事件が不可能と思えれば思えるほど、最後の謎解きで得られるカタルシスは大きくなります。

あの東日本大震災福島第一原発の事故という悲劇を条件とすることで感動を得るなどということは受け付けません。

あの悲惨な出来事がなく、この本が書かれることもなかったなら、その方がずっとずっと良かったと思っています。

「(兵法は)人のたすけに遣(つかう)にあらず。進退爰(ここ)に究りて一生一度の用に立る為なれば、さのみ世間に能く見られたき事にあらず。たとひ仕(つかい)なしはやはらかに、上手と人には見らるヽとも、毛頭も心の奥に正しからざる所あらば、こころのとはば如何答へん。仕なしは見苦しくて初心の様に見ゆるとも火炎のうちに飛入磐石の下に敷かれても、滅せぬ心こそ心と頼むあるじなれ」

柳生心陰流の心法を説いた『悒貫(いぬきどおりをつらぬく)書』の言葉です。

その“一生一度の用”に巡り合った(巡り合ってしまった)人たちの戦いを読んでいます。