数年前から、庭の一画で野菜作りをしています。土で手を汚しながら育てた野菜を食するのは、凝った料理を作らずとも立派なエンターテインメントです。

土の中(あるいは上)で育った野菜を自らの手で収穫して食べると、それらが体内で消化吸収されて血肉になるのを実感し、人間も自然の営みの一部なのだと皮膚感覚でわかります。

高村薫の『土の記』は、その農作業と田舎暮らしを淡々と描写しています。ページを繰りながら、小説というよりも、三人称多視点で綴られた随筆を読んでいるという印象を持ちました。

その文章の特徴として、会話があっても「」を使っていないことが挙げられます。発せられる言葉が地の文の中に配されているのです。

また、視点を受け持つ人物が変わる場合も、行を開けたりせず一つの流れとして続けたり、文章は硬質ながら柔らかい印象を抱きます。

そして、主人公は軽度の認知症を患い始めており、目に映る風景も思考も輪郭を失って混然としていきます。

この感覚が、上記の「人間も自然の〜」という意識すら包み込んでいきます。

人間は、少し傲慢になってしまったようです。

土の記(上)

土の記(上)

土の記(下)

土の記(下)