鎮魂

あの日航機墜落事故から30年。当日の夜のことは、いまでもはっきりと覚えています。

茶の間で家族とテレビを見ていたら、速報のテロップが流れ、すぐにNHKにチャンネルを替えました。

画面から伝わる緊張感に、子供ながらに固唾を飲んで画面を見つめました。ボイスレコーダーとフライトレコーダーという機器の名前を知ったのも、このときです。

翌日以降、日本中がこのニュース一色に染まりました。

そのなかで、避けられない死を目前にしながら家族に遺書をしたためた人たちがいたことを知ったとき、事故は新聞やテレビの向こうのことではなくなりました。その事実の前に立ちすくみました。いまでも、感動やら尊厳やら、ステレオタイプの物言いでそれを表現することを心が拒否しています。

横山秀夫が、この事故を題材に『クライマーズ・ハイ』という小説を書いていますが、わたしは手に取ったことすらありません。人の命が失われた惨事を使って物語を作ることを心が拒絶するからです。

この“物語化の拒否”を自覚したのは東日本大震災が起きたときで、そのことについては、このブログで書きました。それと同じことが、それ以前、言葉にならないまでも既に自分のなかにあったことを驚きとともに再確認しています。

その眠りの安らかならんことを。それ以外に何が言えるでしょう。