手強い本

資本主義という言葉を字義どおりに解釈するなら、民間企業の営利活動などではなく、“資本”を中心に経済活動が営まれるということです。

誰かが商売を始めようとしたとき、株主を募って資金を集めるにしろ、銀行に融資してもらうにしろ、そこには金銭の貸し借りが発生します。そして、企業は利益を上げて配当として還元するなり、元金に利息を加えて返済するなりします。

そのためには、企業は経済的に成長しなければなりません。それは絶対の約束事です。そして、お金の行き来はゼロサムゲーム。誰かが儲ければ、誰かが損をする。全員がプラスになるということはあり得ません。

最近、その行き過ぎと行き詰まりについての言説が多く見られるようになりました。福井晴敏は、『人類資金』で、そのシステムに替わるものとして、人の「善き存在でありたい」という願望に依拠した「資本共生主義」を語っています。

世界中で、格差の発生と拡大が危惧されています。それは主に一つの国の中での問題として取り上げられていますが、その“国”が共同体を指しているのなら、EUもまた、ユーロという単一通貨を共有していることから、それぞれの国の中とともに、EU圏の中での格差も同じく存在するはずです。

ECからEUへ。そして、単一通貨のユーロの導入。それは、ヨーロッパを再び戦場にしないためのものと云われます。経済的に一つの存在になれば、戦争は起こりにくくなるはずだと。それは、裏を返せばドイツの封じ込めでもありました。

そのドイツが、ヨーロッパ及びEU圏において経済的に支配的な立場に立つことになろうとは。そして、エマニュエル・トッドは、それが経済的な範疇を超えて政治的なものになりつつあると警鐘を鳴らしています。アメリカがドイツをコントロール下に置けなくなったら、その衝突は避けられないと。

欧米の人たちが、たくさんの国と民族が存在しているのにもかかわらず、それを十把一絡げにしてアジアはアジアとしか見なかったら、わたしたちは「それは違う」と思うでしょう。それと同じように、ヨーロッパにも多くの国とともに様々な民族が存在しています。

国の法律も、社会構造も、民族性も違う多くの国が、ヨーロッパ(正確にはEU)としてユーロという単一通貨を共有する矛盾は、当然の帰結として軋轢や齟齬を生みます。ドイツが経済的に成功しているのは勤勉だからで、ギリシャが破綻寸前なのは愚かな国だからというだけでは説明しきれないということです。

そして、ヨーロッパの東に位置する、やはりまったく異なる国のロシア。当たり前のことですが、ロシアはヨーロッパではありません。

読んでいて手強いと感じる本でした。自分の無知を痛感し、目眩のような戸惑いを覚えること多々。理解したとは口が裂けても言えません。