与えられた玩具

日本国憲法アメリカから押し付けられたものか云々という議論は、不毛を通り越して無意味です。

敗戦国に、新たに自前の憲法を作る権利も能力もありません。アメリカの主導で作られたのは事実でしょう。

しかし、肝心なことを見落としてはいけません。

戦後統治のために昭和天皇の戦争責任を問わず天皇制を存続させたように、戦犯とされた人たちが、その(ノウハウを持っているという意味で)能力があるがゆえに罰を受けることなく政治の場に復帰したように、官僚組織もまた、スライドする形で戦後の日本の在り方に一定の存在感を持ったことを。

この点を踏まえて考えたとき、日本国憲法が生まれ、運用されてきた過程を「押し付け」や「自立」というキーワードのみで論じるのは単純に過ぎます。ピュアであることを通り越して、愚かな態度です。

その国際政治のうねりが、新たな局面に入ったということでしょう。

子供が、与えられた玩具を使わずに棚に飾っておくだけで済ませるでしょうか。

そして、子供には、(せっかく手に入れた)その玩具を叩き壊して喜ぶという一面があることを忘れてはいけません。