『判決破棄』

『判決破棄』のミッキー・ハラーは、弁護士から検察官へ立場を変えて裁判に臨みます。

中央の通路を挟んで“向こう側”にいるのは姿を変えた自分。裁判を争う弁護士が何を考え、意図しているのかは手に取るようにわかります。「自分ならこうするから」と。

敵を知り己を知れば、百戦して危うからず。

ミッキー・ハラーは、裁判を通して自分自身を見つめなおしていきます。

家族や友人を除いて、人は立場(=肩書き)で付き合います。では、それを変えたら? 去っていく人もいるでしょう、態度を変える人もいるでしょう。

そうして濾過された後に残るのは、自分一人です。言い換えるなら、自分は何者かという自覚です。

その心の旅路を、主人公の内面を縷々綴ることなくエンターテインメント作品として仕上げた著者の小説家としての矜持が、物語最後のミッキー・ハラーの姿と重なります。

確かに、過去の作品と比べると読者を翻弄するツイスト感は希薄かもしれませんが、それだけの作家だったら、これほどの人気作家にはなっていなかったはずです。

マイクル・コナリー、小説の匠。