同じ目の高さ

第二次世界大戦の後、一つの国の中、あるいは地域内でのものはあっても、世界中を巻き込んでの戦争はありませんでした。もちろん、公的な形で軍隊を派遣した国もありましたが、国を挙げての総力戦ではなく、国として参戦するものではありませんでした。

それはつまり、最後の戦争で敗戦国だった日本は、その立場をかえることなく敗戦国であり続けるということを意味します。その状況を打破する方法は一つ。新たな戦争が起こり、日本が国として参戦し、今度は勝つこと。そうして戦勝国という立場を手に入れる(戦勝国側に身を置く)こと。

安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を口にしたとき、わたしはこのように考えました。

内田樹の『街場の戦争論』を読んで、もっと性質の悪い想像をしてしまいました。

アメリカは現在のところ唯一の覇権国家です。そのアメリカと行を共にして、絶えず国際政治の“正しい側”に身を置くことで敗戦国という立場を払拭しようとしているのではないかと。

同じベクトルを持つ人の著作を読むと、自分では表現しきれなかったことを明確にしてくれ、新しい刺激はなくても、良い読書ができたと思えます。

内田樹の“街場の”と冠した本は、「専門家ではなく市井の人が当たり前のこととして考えること」を語るものです。それに反発を覚える人も、専門的な知識を土台に論を展開してほしいという不満を持つ人も多いでしょう。

しかし、あとがきで言及されているように、知識とともに想像力を持つことが大切です。

インテリジェンスのほとんどは公開情報をベースにしていると云います。つまり、専門的な勉強をしている、それを専門にしている人だけでなく、わたしたちにも考える義務と権利、手段があるということです。

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)

街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)