冷たいハードボイルド

船戸与一は、ハードボイルドを「暴力のみが機能する状況の最前線で行動のみを志す者、硬派を描いた物語」(意訳)と定義します。

ならば、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』『スクールボーイ閣下』『スマイリーと仲間たち』で描かれたジョージ・スマイリーもまた硬派です。

自己の内面すら相対化して、ひたすらに行動する男。

青空を描写してすら暗鬱な鉛色を思わせるスパイの世界で、彼を行動に駆り立てるものは何でしょうか。国家への忠誠でしょうか、スパイマスターとしての矜持でしょうか。

否。それはきっと、自分が自分であることの証明。

そのスマイリーと対峙してきたソ連のスパイマスター、カーラ。最後に彼のアキレス腱となったのは愛する娘への情でした。

肉親の情。それは(主に政治的)思想をも粉砕します。言い換えるなら、思想は肉親の情に優先しないのです。思想に殉じるという行為は、あり得ないからこそ神話になるのです。

それを求める国家という共同体の欺瞞。

物語の最後、宿敵のカーラとの決着をつけたスマイリーは、それまでの努力(=行動)を無に帰すような想いを胸中に叫びます。

それは、国家に代表される組織と自己を同一視することのない、舞台から消え去る運命にある硬派の心の軋む声です。