『ナイン・ドラゴンズ』

自分を「もの言わぬ死者の代弁者」と定義する刑事ハリー・ボッシュは、フィリップ・マーロウとはまた趣きを異にする孤高の騎士です。

神に代わって正義を執り行う、その代理人として、人の世の情実に揺らぐことを自らに許さないボッシュは、それが自分の弱みとならぬよう(一般的な意味での)友人も作りません。

すべては自分の使命を果たす過程における役割、その有用性においてのみ位置付けられます。

その孤高の男を動揺させる唯一の存在。それは娘です。

神は、正義感の強さによってのみ自らの代理人を選んでいるのではありません。その人物の能力こそが、正義を重んじる心とともに重要視されます。

その能力を持つ者が、神に託された使命も正義感もかなぐり捨て、法をも無視して、たった一人の娘のために戦う。愛される喜びと、愛する幸せ。それが脅かされた怒りをエネルギーにして。

この作品のボッシュの“行動の”苛烈さは、娘を想う気持ちの深さに比例しています。

手に取った時点で知っていたのは「ボッシュの娘が誘拐され、香港が舞台になる」という程度。できるだけ予備知識の無い状態で読みました。

もし、読み始めた時点の自分に声をかけられるなら、こう言いたい。「刮目して読め」と。

追記;「神の代理人」というのは私の感想であって、作品の中で、そのような描写も記述もありません。念の為。