『第三の銃弾』

アメリカの人々にとっての1963年11月22日は、日本人にとっての1945年8月15日に等しいものなのかもしれません。“その日”として……。

日本が先の戦争を総括していないという考えがありますが、ウォーレン委員会の公式な結論があっても、いまだにJFK暗殺事件を位置付けられないアメリカを見るに、歴史とは同時代人が太刀打ちできなものなのかもしれないという諦念を抱きたくなります。

「はい、こういうことです」「はい、わかりました」とはいかないのです。

銃とガンアクションを描いてきた作家にとって、そこに自分なりのけじめをつけることは必然だったのかもしれません。

銃とは、どのような理屈を並べようと、他人を殺傷するための道具です。それを正しく使うとは、如何なる態度を指すのでしょうか。

一連のシリーズの主人公、ボブ・リー・スワガーは、銃によって名声を得、銃によって人生を狂わせ、銃によって救われます。

彼の能力、技術は、絶大な威力を持つ銃を意識の制御下に置くものであり、迫力あるガンファイトの行間に溢れるのは人間の精神性に対する信頼、肯定です。

ここ数年、過去の名作の貯金で凌いでいた感のあるハンターでしたが、それは本人も自覚があったようで、自身をモデルにした小説家に言わせた愚痴に笑ってしまいました。また、それを書けたのは、銃と人間を描くという原点に回帰した手応えがあったからだろうと思われ、これからも読み続けます。

第三の銃弾 (上) (扶桑社ミステリー)

第三の銃弾 (上) (扶桑社ミステリー)