遺す

原理原則から云えば、金融は実体経済を支えるものです。しかし、現実には立場が逆転しています。金融市場は規模において実体経済をはるかに凌駕し、日々のニュースを見聞きしていると、金融市場が主、実体経済が従という関係にしか見えません。

それが歪であることは論を俟ちません。

金融機関が破綻の危機に瀕すると、国が公的資金を注入して救済することがあります。潰してしまうと、地域経済が破綻して被害が大きくなるからと。

しかし、国が破綻したら、救ってくれる上位概念はありません。IMFは世界経済の最後の砦、救済者のように思われがちですが、実態は欧米の経済界の出先機関です。

その国が発行している国債について書かれた、小幡績の『ハイブリッド・バブル』を読んで、その規模の大きさ、複雑さに想像が追いつかず目眩を覚えました。

著者は、日本の国債に関する俗説を一つひとつ検証し、その実体を明らかにしていきます。そして、その先にある“安楽死”という未来。

これが、素人でもすんなり納得できるから始末が悪い。

その“未来”を生きるのは、“今”口角泡を飛ばしている私たちではありません。

政治家にしろ企業家にしろ、“遺す”という視線を忘れずにいてほしいと切に願います。

もちろん、私自身も。