不都合な事実

TPP狂想曲が、そのトーンを上げ始めました。このような時期が来ることは、誰もが承知していたはずです。

かつての学生運動と重なります。反体制、造反有理を叫んでいた若者たちが、きちんと大学を卒業し、その欺瞞を批判した実社会に何の躊躇いも持たず組み込まれていったのと同じです。

賛成だ反対だと叫ぶのも通過儀礼に過ぎません。

私たちは、自身の立場を再確認する必要があります。

それは何か。日本は“敗戦国”であるという事実です。

私たちは戦後の経済的繁栄に浮かれ、過去を過去のものとして葬り去ったつもりでいました。しかし、国連憲章敵国条項アメリカからの年次改革要望書、その二つからも明らかなように、国際社会は、その事実を忘れてはいません。

負けた者に発言権はありません。それが負けるということです。

負けた者に選択肢はありません。それが負けるということです。

勝者の編む歴史、即ち“正史”が攻勢をかけてきたとき、それと戦うべきは“叛史”です。

では、“叛史”とは何でしょうか。それは勝者に対する敗者、負けた者の歴史ではありません。“敗れざる者”の歴史です。

理不尽で不合理な制度と戦うにおいて、ただ反対と叫ぶだけでは愚の骨頂。何も変わらず、「私は反対した」という言い訳が後に残るだけです。

一丸となって、TPPの中で、最も良き存在感を持つ国になりましょう。他国にとって良き隣人になりましょう。規約や条項などは損得勘定によって作られるもの。ならば、日本が揺るぎない信頼を勝ち得たとき、新たな算盤勘定によって、それは書き換えられるでしょう。