ネズミと少女

冲方丁の『マルドゥック・スクランブル<完全版>』を手に取っていて、全三巻の第二巻を読み終えたところです。

旧版が発売されてから十年以上。高い評価は知っていましたが、美少女とSFという組み合わせに食指が伸びずにいました。それを、今になって読む気になったのは、本棚に積読本がなくなり、「たまには馴染みのない傾向の本も読んでみるか」という、多分に気まぐれからでした。

十年以上の年月を経て、なお売れ続け、アニメ化され、加筆訂正された“完全版”まで出版される作品なら、「自分の好みに合って面白かった」とはならなくても、最低限「つまらなかった。読まなくても良かった」という感想を持つことはないだろうという計算もありました。

旧版を読んでいないので比較することはできませんが、改訂することの“著者の中での”意義が手に取るようにわかりました。

目指す理想と、それを表現する筆力の隔たり。自分が表現したかったのはこんなものじゃないという不満。その葛藤を抱えての十年は辛かったでしょう。

小説家として十年生き延び、筆力が理想に追いついた時。アニメ化はきっかけに過ぎず、その書き直しは物語が要求する必然であり、著者の、自分自身に対する義務だったのだろうと思います。

その作品の、第二巻の最終ページでの、ウフコックとバロットのやり取り。それは、私と“彼女”の、決して交わすことのなかった、でも、間違いなくあった会話です。

こんな出会いがあるから、読書は止められません。