作家と対峙する

「健全な精神は、健全な肉体に宿る」は間違いで、正確には「健全な精神よ、健全な肉体に宿れかし」だと、何かで読んだ記憶があります。健全な肉体に健全な精神を併せ持つ姿が人間の理想像であり、そうあって欲しいという願望を込めた言葉であると。

私は、健全な精神も健全な肉体も持ち得ない半端者です。上記の理想は遥か彼方。その、自身の卑小な器に忸怩たる思いを抱きながら、日々の生活を送っています。

その限られた中での、個人的な感触に過ぎないのですが、ここ暫く、精神と身体が上手く重ならない居心地の悪さ、乖離を感じています。

強くありたいと願いつつ、自身にその能力が無いなら、手段は一つです。自分が持っていないなら、生み出すことができないなら、有るところから持って来れば良い。

そういう打算から、辺見庸の随筆を三冊、購入しました。

辺見庸は、硬骨漢と呼ぶべき作家、ジャーナリストです。初めて手に取った作品は『もの食う人々』。その後、芥川賞を受賞した『自動起床装置』も含めて、文庫もハードカバーの単行本も買い揃えました。

その言説のすべてを無条件に肯定することはなく、反発を感じる部分もありましたが、信頼に足る書き手だという想いを強く持ちました。

しかし、ある時点から、パタッと読まなくなりました。表層的な現象に惑わされない、本質を見極めんとする視線の強さに痺れながらも、自身と価値観が反する人や物事に対する批判の言葉の汚さ、言葉遣いの荒っぽさに鼻白んだことが理由でした。

また、私と似た感性のベクトルを持つ作家なら、その作品を何冊も読んで、その都度「そうだ、そうだ」と頷いていても自己満足に過ぎず、違う刺激を求めた方が読書としては建設的だろうという考えもありました。

原点回帰か、自身の再確認か。はたまた、更なる混沌か。

眼の探索 (角川文庫)

眼の探索 (角川文庫)