二つの国の乖離

国とは何でしょうか。

それは、時間という縦軸と空間という横軸で繋がった、共に暮らす人々の総体です。

と同時に、その秩序を維持するためのシステムもまた、国と呼ばれます。

そのシステム=権力ヒエラルキーの上位にいる者は、二つの“国”を意識的に混同して語ります。システムを守ることが我が身を守ることと同義であることをおくびにも出さずに。

「軍隊が守るのは、自国民ではない。軍隊それ自体だ」という論を読んだことがあります。軍隊が存続する限り、国は滅びないと。

「国が守るのは、国民ではない。国それ自体だ」と言い換えた時、その“国”の中身は何でしょうか。

私は、革命を夢見るほどナイーブではありません。革命の後に現れるのは、別の権力に過ぎません。だからこそ、硬派は、その死によって舞台から去るのであり、その行動は神話になるのです。

生きて、大切な人を守るためには、自分と国の双方がしっかりしていなければいけません。それは、どちらかに偏って叶うものではありません。

二つの“国”の乖離を見せ付けられても、私は幻滅も絶望もしません。市井に生きる者が硬派を志す時、それすらも不純物です。