銃後とセコンド

ある方の書いたものの中に、“銃後”という言葉がありました。

私は自身の経験、この場合はボクシングに即して、この言葉を咀嚼しました。

言うまでもなく、ボクシングは両の拳で殴りあう競技です。それは、対戦相手を倒す手段ということでもあります。重い一撃、スピーディーなコンビネーション。観る者の目は、どうしても上半身の動きに行きます。

しかし……。自分のリズムを作り、有利なポジションを占めるためのフットワーク。パンチに、体重の移動による威力を付与するための踏み込みと回転。そう、強靭な下半身があって、初めて速く強いパンチを打つことができるのです。

人間の身体の上半身を被災地(と、そこで暮らす人々)、下半身を直接の被災地ではない場所=銃後(と、そこで暮らす人々)と考えた時、そのどちらが欠けてもいけないのだと気付きます。

別々に戦うのではありません。一緒に戦うのです。

もう一つ。

ある方の書いたものの中に、“セコンド”という言葉がありました。

他人に誇れるキャリアは積んでいませんが、空手とボクシングの経験から、戦うのは、“独り”であっても“一人”ではないと感じています。

私が通うジムでは、ここ数年、プロテストを受験する選手が立て続けに合格しています。練習内容が充実していることが挙げられますが、それだけではありません。プロテスト合格という同じ目標に向けて一緒に頑張ってくれるトレーナーさんへの信頼感。本番のリングに立った時、その人が見守ってくれているという安心感。それがなくては、選手は培った実力を十全に発揮することなどできないと、私は思います。

決して主役ではない立場で、他人のために全力で役割りを果たす。素晴らしい。

戦うのはオマエでオレじゃない、なんてことはありません。一緒に戦っているのです。