等身大

困難な現在に立つ私たちは、過去を美化します。それは逃避ではありません。しかし、視線を向けるべきは、過去ではなく、現在と未来です。

未来のために、“美化されていない”等身大の過去を知りたい。そう思い、半藤一利の『あの戦争と日本人』を読みました。

著者は、当時の政府と軍部が原子爆弾の研究を僅か数人の学者に任せきりにしていたことについて、「日本という国は……結局こういう国柄なんですね、やっぱり。本気になったとしても、総がかりということはなくて、まずは個人の職人的な力に頼って進めるんです。」と語っています。

この部分を読んで、福島の原発で危険な任務に従事する方々のことが思い出されました。

私の理解ですが、戦争末期の特攻隊も同じ文脈にあると思います。国と家族を想い、自らの命を散らせた若い隊員たちの心は尊いものです。しかし、それとは別に、国の舵取りを誤り、若者にそれを強いた人々の無能は責められるべきです。

政府の意気地なさ、東京電力の企業の論理。そのツケを支払わされている国民の象徴が、現場で作業されている方々です。

私には、祈ることしかできません。どうか、ご無事で。

あの戦争と日本人

あの戦争と日本人