死なない野獣

大藪春彦の『野獣死すべし』で、主人公の伊達邦彦は、親友と呼べる真田を撃ち殺す。しかし、無慈悲に、機械的に邪魔を排除するように撃つのではない。一度は己のしようとしていることに慄き、そして、意志の力によってその行為を完遂する。

それについて、シリーズ最終巻の『野獣は、死なず』(光文社文庫)の解説で、北方謙三は書いている。「小説だから、できた。小説だから、(あらゆる絶望がただの失望であり、これだけが真の絶望であるという)絶望さえも具現できた。」

北方謙三が言う“絶望”は、世を儚む類のものではない。その絶望を感じることは、豊かな感受性の持ち主でなければ難しいかもしれないが、作品を読み、その存在を想像することは貴重な精神的経験だ。

邦彦は、自分が自分という人間であるために、真田を殺した。

私は、私が私という人間であるために、私にとっての真田を殺すことができるのか。いや、そもそも、私が私という人間である根拠は何なのか? 真田を殺してまで貫くべき“私”を持っているのか?

大藪春彦には、“現代を挑発し続ける作家”というキャッチフレーズがつけられたことがあったが、それは作家の死後も有効だ。

私を挑発し続ける作家、死なない野獣、大藪春彦

野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)

野獣死すべし (光文社文庫―伊達邦彦全集)