視ないという選択

大相撲、名古屋場所のテレビ中継が中止になりました。NHKに対して1万2600件の意見があり、その内の68%の約8600件が中止を要望するものだったそうです。

その人たちは、相撲が中継されることでどんな不利益を被ることになっていたのでしょうか? 私の想像ですが、そんなものは無かったはずです。現在の相撲協会を批判しても、それに対する反批判はないでしょう。その安全な場所からの正義感の発露による自己満足。私は立派な人間、正しいことをしている自分が好き、という驕りを感じます。

私見ですが、中継はすべきでした。その上で、相撲協会に物申したい人は、“視ない”という行為で、散々な視聴率という具体的な数字で抗議の意思を表明すれば良かったのです。

放送していれば、視てしまう。そんな言い訳をする人は、そもそも、その程度の“義憤”しか持っていないのです。何だ、結局視たいんじゃないかという話です。

ただ、協会の理事をはじめとするすべての関係者には、相撲界の常識は世間(この言葉は大嫌いですが)の非常識。それを肝に銘じてほしいとは切実に思います。相撲は国技、世界の国々に日本という国に親しんでもらうために重要な文化的コンテンツです。