雑感:青木VSメレンデス

“勝負に勝って試合に負けた”という言葉を聞かなくなりました。

負けない闘いに終始した青木真也。日本格闘技界の誇りや期待を背負って闘っているなどと考えていたのなら、笑止千万。自惚れも良いところです。自分が闘う姿を見るためにお金を払う人がいる。多くの人が携わって大会が開催される。それによって収入を得る。それがどういうことなのか、もう一度考えてほしい。観客や視聴者が、青木が戦う姿に自分の思いを託し、ともに喜び、ともに悔しがる。そういう試合を積み重ね、周囲を巻き込んだムーブメントを起こして、そこで初めて日本格闘技界を背負う、ファンの気持ちを背負うと言う資格ができるのです。

試合中、いたる場面で対戦相手から視線を逸らしてレフェリーを見る。スタンドに戻ることを命じられて立ち上がるたびに、周囲に視線を巡らせる。shingol氏の云う“能動性”の欠片も無い、その落ち着きの無い様子を見て、こんな話を思い出しました。

あるスポーツノンフィクションで、尾崎将司ジャンボ尾崎)について書かれたものを読んだことがあります。国内で無類の強さを誇った全盛期のジャンボ。しかし、同時期、海外のメジャー大会において、その実力に相応しい成績を残すことができませんでした。その作品よると、青木功がホテルやレストランで世界の強豪と対等に歓談や食事をしていたのと対照的に、ジャンボはロッカールームなどで、一人サンドイッチを齧っていたそうです。それでは、伸び伸びと自分らしいプレーをすることなどできるわけがありません。

格闘家なのか、格闘技オタクなのか。次の試合は、青木にとって重要なものになるはずです。